ティーガーI 重戦車 Heavy tank Tiger I

世界最強の戦車とは・・・と言うことをふと考えてしまう。最強の戦車とは敵の砲弾を跳ね返す装甲と敵の戦車を撃破できる砲を備えた戦車と言うことになる。その定義からすると間違いなくヤークトティーガーとなろう。前面装甲250mmは連合軍の如何なる戦車砲も打ち抜く事は不可能で128mm戦車砲は3,000mの距離から連合軍の戦車の装甲を容易に貫通させられる。
だがこのヤークトティーガが活躍したかと言うと75tにも及ぶ重量が災いしエンジン・変速機・ブレーキに故障が頻発しほとんど戦果らしい戦果をあげられず、大半は乗員によって自爆してしまった・・・言わばウドの大木の様な戦車には最強の称号は相応しくない。
またキングタイガーと言われたケーニッヒス・ティーガー(ティーガーⅡ)も映画「バルジ大作戦」でティーガーⅡ(実はM47パットンだが・・・)は先頭をきって進撃する姿が描かれているが、実際にはヨアヒム・バイパーSS中佐が率いる第1SS装甲師団「バイパー戦闘団」にSS第501重戦車大隊として20両のティーガーⅡが参加しているが、部隊の最後尾をノロノロついて行き故障で落伍する戦車が相次いだ。少ない兵力でもスピードを生かした戦法で数々の勝利を収めてきたバイパーにとっては多分お荷物以外の何物でもなかった思う。守勢においては威力を発揮するが、攻勢において速度の遅さ、故障の多さに加え生産された台数が少なく、目立った働きがなかったのが実際のところだと思う。







 

(ヤークトティーガー)

(ティーガーⅡ)

連合軍に目を向けると、M4シャーマン戦車やT-34は物量に物を言わせて連合軍の勝利に導いが、最強という言葉からはほど遠い存在である。
私は独断と偏見により第ニ次世界大戦の最強の戦車はⅥ号重戦車「ティーガーⅠ」としたい。


性能諸元
全長:8.45m
全幅:3.7m
全高:2.93m
重量:57t
速度:45km/h(整地)・20km(不整地)
乗員:5名
兵装:
56口径88mmkwk36
7.92mmMG34機関銃×2
装甲:
前面装甲100mm
側面および後面装甲80mm

ティーガーの設計は1941年5月に命令が下される。よくソビエトのT-34の対抗の為作られた様に言われるが、設計は独ソ戦の前で対フランス戦の最中、Ⅲ号戦車やⅣ号戦車がフランスのルノーB1bisの前面装甲60mmやイギリスのマチルダI歩兵戦車の前面装甲65mmを打ち抜くことが出来きなかった苦い経験から従来の戦車より重装甲・重武装が求められた。

武装

主砲は56口径88mmKwk36砲で先のフランス戦で重装甲の連合軍戦車をドイツ戦車砲が撃ちぬけず第7装甲師団のロンメル師団長がアラスの戦いにおいて空軍の88mm高射砲を使い連合軍戦車を撃退した事によりティーガーは88mm高射砲を改造した主砲を装備している。
他に機銃はマウザー・ヴェルケMG34機関銃を2丁装備している

88mm砲は低伸弾道性に優れ(弾道がカーブを描かずまっすぐ飛ぶ事)、照準器も極めて正確な為遠距離から敵戦車を撃破する事が可能で、1,500mでT-34及びM4シャーマン戦車の前面装甲を貫通する能力を持っている。

装甲

前面装甲100mm側面および後面装甲80mmでティーガーの装甲には避弾経始と言って装甲に角度をつけることにより砲弾の運動エネルギーを分散させる(受け止めるのではなく受け流す)と言う設計は行っておらず、装甲は垂直に取り付けられ、分厚い装甲で敵弾を跳ね返す設計となっている。前面装甲100mmは強力でT-34の76.2mm砲やM4シャーマン戦車の75mm砲は零距離でも打ち抜く事が出来なかった。側面・後面も500m以内に接近しないと貫通する事は難しく、連合軍戦車は1台のティーガに4~5台が協力しながら攻撃しなければ撃破する事が難しかった
作った後に気づいたのですが車体下部に取り付けた、追加装甲代わりの履帯を支える支柱が細すぎたな。・・・まあご愛嬌で(苦笑

ツィンメリット・コーティング

作品の車体上部に施されたギザギザの模様はドイツ軍が1943年8月より制式化した、吸着地雷を防ぐ為の非磁性体のコーティングで翌年9月に廃止されるが、初期型のティーガーを除けば1944年8月の生産終了までの全てのティーガーが工場からの出荷時にツィンメリット・コーティングを塗布されるようになった。実は戦車はあまり得意じゃないので出来が良いのかはビミョーだが、ツィンメリット・コーティングをする為にエポキシパテを薄く塗って、乾く前に専用のローラーでギザギザを施しました。皆さんもドイツ戦車を作る時は一度試してみては如何ですか?モーやりたくないけど(笑
機動性


マイバッハHL230P45水冷4ストロークV型12気筒ガソリンエンジンは700馬力になっていおり、高出力エンジンと幅725mmの履帯のおかげで車体重量57tとⅣ号戦車の倍以上の重量の割には整地で時速45km・不正地では20kmと良好な機動性を確保してある。
但し、重量が重い為かかる負荷は大きく、機械トラブルは多い。特にブレーキとトランスミッションの損耗が激しく、長距離の移動は列車で行い、戦闘時以外の行軍では低速で行わないとオーバーヒートなどを起こし動けなくなってしまう事もある。
動けなくなったティーガーは更に厄介で、ドイツ最大の牽引車は1台で牽引できず3台でティーガーを運ぶ事になる。また動けないティーガーを別のティーガーが牽引すると、オーバーヒートにより2台とも動かなくなる事もありティーガーが牽引する事は禁止されている。

心理的影響

恐怖とは感じるものではなく、与えるものだぁ」北斗の拳に出てくる拳王ことラオウの言葉です。このティーガーに乗っているドイツ戦車兵はまさにこの言葉の様に無敵の心境だったと思います。最強の戦車という事は、連合軍兵士にとっては最悪の戦車で、出会いたくない存在だったと思います。「タイガー恐怖症」は連合軍兵士に蔓延していたと思います。

ハリウッド映画にもティーガーは時折姿を見せます。
『戦略大作戦』と言う映画のTV版吹き替えではビッグジョーは「タイガーが暴れてみろ、俺らは虎の前のカマキリよ」って言ったりシャーマン戦車兵のモリアーティ一等兵が「以前タイガーにはこっぴどい目にあって懲りてんだよ!てんで歯が立たないんだよ。戦車仲間の殺し屋だよ!奴は」と悲観的なことを言ったり・・・とタイガー相手にあきらめムード

ちなみに『戦略大作戦』は、1970年に公開されたアメリカの戦争映画で連合軍のならず者たちがドイツ占領化のクレアモントと言う田舎町の銀行にある1600万ドル相当の金の延べ棒をかっぱらうと言う大胆と言うか、図々しいと言うか、そんなアクションコメディ戦争映画です。
そんな田舎町でも銀行の守備兵力としてティーガー重戦車3台が配置されています。実はこのティーガーはT-34/85の改造ティーガーで砲塔の位置がやや前のめりですが、ティーガーの雰囲気を出して迫力は十分です。

M4シャーマン戦車がたった1台で3台のティーガーを相手にするという設定は現実離れしているが面白い。興味のある方はDVDで見てみるのも良いかと思います。
ちなみに吹き替え版は無いみたいですが、20年ほど?前に取ったTV放送の戦略大作戦ビデオが自宅にあって、たまに見ますが、ケリー元中尉はクリント・イーストウッドで吹き替えはルパン三世などの声優で有名な山田康雄さん/ビッグジョーはテリー・サバラスでハクション大魔王などの声優の大平透さんオットボールはドナルド・サザーランドで宍戸錠さん・サイコロはドン・リックルズで永井一郎さんなど、個性派が揃ってましたが、宍戸錠さんを除いてすべてお亡くなりなったのは残念でなりませんね

またプライベートライアンでもトム・ハンクス演じるジョン・H・ミラー大尉に迫るティーガーが迫力があります。こちらもT-34/85の改造ティーガーです。最後にミラー大尉が迫りくるティーガーに拳銃を撃っているシーンが頭に離れません。・・が最も印象的なのは映画開始早々のオハマビーチ通称「ブラッディ・オハマ」でのノルマンディー上陸作戦の場面ですね!
砲撃で内臓が飛び出ているシーンや下半身がそっくりなくなった兵を引きずるミラー大尉とかの戦争の悲惨な現実を見せ付けられます。

 

ブラッド・ピット主演のフューリーにもティーガーが登場します。隊列を組んで走行中に1両のM4シャーマンの砲塔が吹っ飛び、残りの3両のM4シャーマンが放つ75mm砲徹甲弾の直撃を分厚い前面装甲が跳ね返す。逆に敵弾一発で味方戦車が撃破されていくのを見て思わず「あの野郎、怪物だ」とうめいてしまう。

ちなみにこの映画に登場するティーガーはチュニジア戦線にてイギリス陸軍が鹵獲し世界で唯一走行可能な本物のティーガーを使用して撮影されているので貴重な映像です。

 

(フューリーで使用されたタイガー131 ウィキペディアより転載)

強敵

(スターリンの冠をもらったIS-2スターリン重戦車)

(猛獣ハンターといわれたSU-152)

陸軍大国のソビエトは122mm砲搭載のスターリン重戦車や、152mm加農榴弾砲を備えたSU-152を戦線に投入した。どちらの戦車砲も強力で榴弾砲はたとえ貫通しなくても強力な爆圧で装甲を破壊することが可能でティーガーにとって強敵だった。

(ロケット弾を発射するP-47サンダーボルト)

(編隊飛行をするP-51ムスタング)

アメリカ軍は大戦後半でも正面からティーガーに対抗できる戦車はあまりなかったが、それを補いように圧倒的な航空戦力があった。
大戦後半のティーガー戦車は木の枝などを車体にくくり付けた対空偽装を行わなっている写真などを良く見ます。これはつまりティーガーが空に対して神経を使っている事で、連合軍のとりわけアメリカ軍の航空機は制空権を取った大戦後半には、ほぼ各地でドイツ軍の脅威となった。ロケットや爆弾などの損害は当然のこと、12.7mm機銃でさえ、ティーガーの上部装甲は25mmと比較的薄く、航空機の機銃でもエンジンルームなどに損害を与えることは可能となっている。
ティーガーの終焉

千年続くと言われたナチスドイツ第三帝国は1945年4月30日にヒトラー総統が自決し、5月1日帝国議会には赤旗が翻り崩壊した。だがブランデンブルク門に陣取っているミュンヘベルク
装甲師団の最後の生き残りのティーガーは老人や子供たちの僅かな国民突撃隊と共に絶望的な戦いを繰り広げていた。
ソビエト軍は東からは第八親衛軍、西からは第二親衛戦車軍、南からは第二十八親衛狙撃軍団、北からは第三打撃軍が押し寄せかつて栄光を極めた誇り高きティーガーは今まさに
終焉を迎え様としている。翌5月2日ベルリン防衛隊司令官ヴァイトリンク大将は
ソビエト軍に降伏を申し入れ5年8ヶ月続いたナチス・ドイツ第三帝国の戦いは終わりを告げた。

参考文献
歴史群像 欧州戦史シリーズ ドイツ装甲部隊全史Ⅲ 衰亡編 ㈱学習研究社
歴史群像 欧州戦史シリーズ ベルリン攻防戦 ㈱学習研究社

タイトルとURLをコピーしました