戦艦:長門 battleship NAGATO



戦艦長門は1920年(大正9年)11月25日に竣工しその当時最大の45口径41cm連装砲4基8門を備え高速な26.5ノットの機動力を有する高速戦艦で姉妹艦の「陸奥」、イギリスのネルソン級戦艦2隻、アメリカ合衆国のコロラド級戦艦3隻を指して世界のビッグ7と呼ばれ世界の軍艦史に大きな影響を与えた。この作品は太平洋戦争開戦時つまり1941年12月8日の仕様となっています。太平洋戦争開戦時には連合艦隊旗艦として山本五十六連合艦隊司令長官が座乗し開戦を指示する「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号を打電した。
山本長官は駐米武官としてアメリカに赴任した経験から日本との国力の差を知っており勝てる見込みのない戦争の指揮をしなければいけない心中はいかばかりであっただろうか?さてこれから戦艦長門に関してもう少し詳しく見ていきたいと思います。

歴代連合艦隊旗艦の性能比較


手前から東郷平八郎連合艦隊司令長官が座乗し日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅した戦艦『三笠
2番目は太平洋戦争開戦時連合艦隊旗艦とし、太平洋戦争を戦い抜いた戦艦『長門
奥は言わずと知れた世界最大の超弩級戦艦『大和
三笠 長門 大和
全長 131.7m 224.94m 263.0m
基準排水量 15,140トン 39,120トン 65,000トン
最大速力 18ノット 25.0ノット 27.46ノット
主砲 40口径30.5cm
連装砲2基4門
45口径41cm
連装砲4基8門
45口径46cm
3連装砲3基9門

以前横須賀の三笠公園に戦艦三笠を見学に行った時に大きな船だなぁ~と思ったけど、長門・大和は遥かに大きな船なんですね。
30年位前の映画「連合艦隊」(今もたまに見るけど・・・笑)のシーンに大和に向かう内火艇で宇垣纒参謀長(高橋幸治)が山本長官(小林桂樹)に
いや~、デッカイ。まさに、浮かべる城ですな」と言うひとコマを思い浮かべるが、本当に大きかったと思いますよ!

性能諸元
竣工:1920年11月25日
全長:224.94m
全幅:34.59m
基準排水量:39,120トン
機関:艦本式タービン4基4軸 82,000馬力
速力:25.0ノット
乗員:1,368名
兵装:
45口径41cm連装砲4基
50口径14cm単装砲18門
40口径12.7cm連装高角砲4基
25mm連装機銃10
装甲:
水線305mm
甲板70+127mm
主砲前盾457mm
主砲天蓋250mm

長門のライバル達


(イギリス海軍:ネルソン級戦艦)


(アメリカ合衆国海軍:コロラド級戦艦)

日本・アメリカ・イギリスは自国の海軍力に力を注ぎ軍拡競争に明け暮れていた。その事により各国膨大な軍事費に費やされ国家予算を圧迫する事態に発展してきた。
この長門の完成によりワシントン海軍軍縮条約開催のきっかけとなり、条約で16インチ(40.6cm)搭載艦の建造が制限され世界で16インチ砲を搭載しているのはこの「長門」と姉妹艦「陸奥」・イギリス海軍がネルソン級2隻で1番艦「ネルソン」2番艦「ロドニー」アメリカ合衆国海軍がコロラド級3隻で1番艦「コロラド」2番艦「メリーランド」4番艦「ウエストバージニア」となり3番艦で建造が予定していた「ワシントン」は条約により廃艦となった。完成した7隻の16インチ搭載艦はビック7と呼ばれるようになった。
開戦時の日米国力の差
冒頭で日米の国力の差について書きましたが、開戦時にどの位の差があったのか?具体的に見ていきたいと思います。
日本 比較(1941年) アメリカ
275 石油生産量(千トン) 189,496
56,472 石炭生産量(千トン) 463,910
50 アルミ生産量(千トン) 280
37,660 電力量(百万kw/h) 208,306
244万人 兵力 203.7万人
925,109トン 海軍戦力(太平洋地域のみ) 763,600トン
1,925,300万円 国家予算 1,398,000万ドル
1,492,300万円 軍事費 606,200万ドル
77.5% 国家予算に占める軍事費 43.4%
(参考文献 学習研究社 歴史群像 太平洋シリーズ 奇襲ハワイ作戦)
戦争は国家の総力戦になります。具体的に言えば石油により軍艦や航空機が動きます。鉄を作るためには石炭は欠かせません。アルミは航空機を作るために必要となり、工業生産品では電気が必要になります。日米の基本的な国力は10倍以上と言うことになります。この資源の乏しい日本が開戦と同時に南方資源地帯への占領を最重要課題にした事はこの数字からみて理解できます。そして開戦時の兵力は日本がアメリカを上回っているが、いちばん注目なのが国家予算に占める軍事費の比率です。
日本は歳出に占める軍事費が実に77.5%に達しており、もはや限界に達しています。アメリカは国力に余力があり、この力の差が1943年以降はっきりと現れてきます。やはり山本長官が目指していた、短期決戦による早期講和で戦争を終結しようとしたのはこの国力の差をはっきりと認識していたからと思います。
長門の主要兵装


主砲 (四十五口径 八十九式 四十一糎連装砲) 4基 8門
砲塔重量1000トン<br>
初速780メートル/秒<br>
最大射程3万7900メートル<br>
砲弾重量1020キロ<br>
性能的にはライバル艦のネルソン級・コロラド級に比べて全体的に優れており、ビック7では最強の16インチ艦載砲となる。
但しワシントン条約では艦載砲は最大16インチ(40.6㎝)と決められているが長門の41㎝はサイズオーバーで明らかに条約違反となる為、当初砲身に四十一糎と刻んでいたのを四十糎に修正している。セコイぞ帝国海軍(笑

副砲(五十口径三年式十四糎砲)18門
初速 850m/s
最大射程 19,100 m
砲弾重量 38 kg
それまで戦艦の副砲としては金剛型や扶桑型に搭載されていた五十口径四十一式十五糎砲だったが、砲弾重量が45.4kgと重く日本人が人力装填による長時間連続発射が難しいことで弾丸重量38kgと威力が落ちるが装填時間の短縮が図れる、一四糎砲を装備した。

高角砲(四〇口径八九式十二糎七高角砲) 4基8門
初速 720 m/s
最大射程 14,622 m
最大射高 9,439 m
発射速度 14発/分
通称12.7センチ高角砲で性能が高く、日本の主要艦艇の対空兵装して多く搭載された
機銃(九六式二十五粍連装機銃) 10基
初速 900m/秒
最大射高距離 5,500m
有効射高距離 3,000m
海軍の主力対空機銃として戦艦、航空母艦から輸送艦等の補助艦艇に至るまで様々な艦艇に搭載された。
長門の装備
艦橋構造
主砲射撃指揮所
中央部にある円筒形の構造物は九四式方位盤照準装置で主砲の射撃を管制する装置
戦闘艦橋
海戦時には艦長が在室して全ての戦闘指揮をとる
九十四式10メートル測距儀
測距儀はレール上を旋回する。前檣に設置されているのとは別に第二主砲塔・第三主砲塔にも設置されている。
上部見張所
戦闘時には測的所を兼用している。
主砲前部予備指揮所
仮に上部の10メートル測距儀が破壊された場合、左右にある4.5メートル測距儀で主砲射撃を指揮する。
羅針艦橋
船の航行に必要な羅針儀を設置した艦橋
司令塔及び副砲指揮所
4層目に副砲指揮所・3層目に司令塔と長官や艦長の為の休憩所、その下の1層には下部艦橋がある。

搭載機
九五式水上偵察機3機
偵察の他に主砲射撃でなくてはならない弾着観測や九六式艦上戦闘機にも匹敵すると言われる運動性能の為、哨戒や爆撃、それと戦闘機の代用として制空任務もこなした万能機
零式観測機が1940年に運用されているので、零観が搭載されても良いとは思うけどまだ開戦時は九五式水偵が搭載されていたという事なんだろうね?
零観も太平洋戦争と通じて本来の弾着観測は行う機会はなく、ほぼ水上偵察機として使用されてこちらも高い運動性能の為、しばしば戦闘機代わりとして使用された。

搭載艇
17メートル水雷艇は特に魚雷を搭載するわけではないので内火艇とほぼ同じ。そのほかには資材や人員を120人ほど乗せられる十二m内火ランチ、9mカッター、6m通船など多くの船が搭載されている。
長門の戦歴と最後

1941年日本とアメリカは極度の緊張状態となり、対米交渉が思うように進まず12月2日17時30分に苦しく悲惨な日米開戦を告げる有名な電文「ニイタカヤマノボレ1208」がこの長門から連合艦隊全艦艇に対してが発信される。これは対米戦を12月8日と定むと言う意味で、ハワイ真珠湾に向けて航行中の南雲忠一中将麾下の第一航空艦隊もその暗号電文を受信しその後の12月8日未明に航空機による奇襲攻撃を行う。
1942年6月5日、ミッドウェイ島の占領と敵機動部隊の撃滅を目的としたミッドウェイ海戦で南雲機動艦隊を援護するため長門も出撃したが空母4隻を失う大敗北を喫し、負傷兵を収容して柱島白地に帰投した。その後長く後方にとどまる日々が続いたが、長門の主砲が敵に向かって咆哮する時がやって来た。1944年6月19日に絶対国防圏と称するマリアナ諸島にアメリカ艦隊が来襲した為、連合艦隊は「あ号作戦」を発令しタウイタウイを出撃。
第一航空艦隊乙部隊として空母「隼鷹」「飛鷹」「龍鳳」の直衛を行い、来襲する敵機に始めて三式弾を始め高角砲、対空機銃の濃密な弾幕を張ったが軽微な損害を受ける。

944年絶対国防圏のマリアナ諸島を失った帝国海軍は、フィリピンを艦隊決戦の場と定め主力艦隊をブルネイに集結させていた。10月17日、航空母艦17隻・護衛空母18隻・戦艦12隻を擁し戦闘艦艇157隻・輸送船420隻・特殊艦船157隻・計734隻の圧倒的な戦力のアメリカ艦隊がレイテ湾に姿を見せた。
(1944年捷一号作戦の為、ブルネイに投錨中の長門)
連合艦隊司令部は捷一号作戦を発令し栗田中将麾下の第2艦隊の第一遊撃部隊はレイテ湾に向けて進撃を開始し長門は第一戦隊として大和・武蔵共に出撃した。レイテ沖海戦の詳しい内容は、今作成しているガンビアベイ編で後日詳しく述べる事として今回は割愛させて頂きます。乞うご期待!
レイテ沖海戦に敗れフィリピンを失った日本は南方より資源が入らなくなり、艦隊決戦の場を失った長門は横須賀に係留され、予備艦として主砲を除く副砲・高角砲・機銃を全て外され煙突上半分やマストも切断され、偽装として木造家屋を設置して上空から見ると船とはわからず岸壁の一部分しか見えず空襲を受け被害を出したのは1度きりだった。その為終戦時に行動可能な唯一の戦艦だった。
1946年7月1日にビキニ環礁で行われた核実験の標的艦として参加。1度目は爆心から離れた為ほぼ無傷で、25日に行われた2度目の実験でも5度の傾斜はあったが、4日間は浮かび続けたが28日から29日の夜中に誰に見取られることもなく静かに転覆沈没したものと思われる。こうして国民から広く親しまれ、太平洋戦争を通じて戦い続けた戦艦長門は永遠の眠りについた
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