2013年9月14日の3連休に長野に愛車FJクルーザーに乗って長野に歴史めぐりの旅に行って来ました。
武田信玄と上杉謙信が死闘を繰り広げた川中島古戦場や大日本帝国幻の遷都と言われる松代大本営 象山地下壕探検/幕末の知識人佐久間 象山をめぐる旅や善光寺や長野グルメの旅情報満載です。
越後湯沢を出発したモッキーは長野を目指して国道117号を長野を目指してドライブしました。
途中道の駅信越さかえとふるさと豊田に立ち寄って休憩しました。
豊田飯山ICから上信越自動車道に乗って長野を目指します。
上信越自動車道長野ICを降りたらすぐ目の前に史跡の町松代は左折との案内があるので左折し上信越自動車道の下をくぐりT字路にぶつかります。そこには信州・松代は右とあるので右折。
目的地の代官町駐車場(象山東駐車場)です。利用時間は8時45分から午後4時30分までで利用時間外は閉鎖されると書いてありますのでご注意ください。なかなかここは見所がたくさんあるので時間に余裕を持って見てください。車をここにおいて先ずは象山神社に向かいます。
佐久間象山は1864年 三条木屋町で狂信的攘夷派の凶刃に倒れ、尊皇開国の石ずえとなって非業の最期を遂げる象山先生のゆかりの地象山神社を訪れました。
佐久間 象山ゆかりの地 |
幕末の知識人佐久間象山ゆかりの地をめぐります。上の写真をクリックしてみてくださいね |
太平洋戦争末期に秘匿名『マ工事』と言われたこの工事は総延長は10kmにもおよび敗戦までの約10ヶ月で八割程度完成させた。
ロ号倉庫は舞鶴山地下壕で大本営専用地下壕と仮皇居が建設され、この象山地下壕はイ号倉庫と呼ばれ政府機関と日本放送協会・中央電話局が入る地下壕。この象山地下壕の探検記はしたの写真をクリック。
松代大本営 象山地下壕探検 |
大日本帝国 幻の遷都 象山地下壕 上の写真をクリックしてみてくださいね |
永禄4年(1561年)8月16日 13000を率いた上杉政虎(のちの上杉謙信)は妻女山に布陣した。武田軍の海津城の近くの武田領内深くに陣取り武田信玄を待ち受けた。
そんな妻女山に登ってみました。こう書くとなんかハイキングで登山したように思えるけど、車でびゅーーと(笑
上杉謙信が布陣した妻女山に登ってみました。 |
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武田信玄を待ち受け八幡原を見下ろす山・・・上の写真をクリックしてみてくださいね |
永禄4年(1561年)9月10日武田軍2万と上杉軍1万3千が血で血を洗う死闘を繰り広げたのが川中島古戦場 八幡原史跡公園に武田信玄と上杉謙信の一騎打ち像を見に行ってきました。
八幡原史跡公園 |
八幡原史跡公園 長野県長野市小島田町1384-1 電話 026-224-5054 |
霧の中の遭遇戦で両軍多くの戦死者を出した凄惨な戦い・・・上の写真をクリックしてみてくださいね |
今回の車中泊はTOiGOパーキング
立体駐車場で430台収容でき24時間営業で8時~24時まで最大800円/24時から8時までが最大400円なので1日最大1200円なのがとっても車中泊としてはうれしい。
さて善光寺にむけて歩き始めたモッキーは相変わらず迷子になってしまい!違う方向に進んでしまった。案内板を見た所歩く方角が違うことに気付きあわてて戻ることになりました。(汗
セントラルスクゥエア前で長野オリンピックの表彰式会場として使われた施設で今は駐車場になっている。長野オリンピックメモリアルパークとして整備されています。長野オリンピックからずいぶん年月がたちましたね。
「長野駅」~「善光寺大門」間を結ぶ路線バス善光寺線の「びんずる号」で外観がレトロな作りになっています。善光寺で結婚式を挙げられた方のご一行が歩いていました。とてもお幸せそうですね。オメデトー!パチパチ
仁王門
1917年(大正7年)に再建された仁王門。間口約13m・奥行き約7m・高さ約14mの立派な門です。仁王門は、1752年(宝暦2年)に建立されましたが、1847年(弘化4年)の善光寺大地震で焼け落ちてしまいました。
その後再建されたのですが1891年(明治24年)の火災でまた焼失してしまいました。1918年に(大正7年)に再建されたのが現在の門です。
「定額山」の額は伏見宮貞愛親王の御筆によるものだとのこと左側が口を開いたの阿形(あぎょう)像で右は口を結んだ吽形(うんぎょう)象になり2体を一対として仁王(におう、二王)といいます。
六地蔵
六地蔵は六道輪廻の思想で生命は6つの異なる世界に生まれ変わりを繰り返すとする教えで向かって右から地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道、天道の迷いや苦しみから救って頂ける菩薩様です。
向かって右側が地獄道から並んでいるのですが地獄道の菩薩が蓮台から片足が出ているのは一刻も早く地獄の救いに行こうという気持ちの顕れだそうで、モッキー的には地獄は救う人が多すぎて過重労働だからはやく地獄の仕事から抜け出したいということかと思った(笑
濡れ仏
六地蔵の隣に大きなお地蔵様があります。
こちらは濡れ仏と言われる延命地蔵で1722年(享保7年)に作られた高さ約2.7mの立派な地蔵様です。恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる八百屋お七の冥福を祈って恋人の吉三郎が造立したとも言われ「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれています。
山門
1750年(寛延三年)に建立された二層入母屋造りの門で国の重要文化財に指定されています。
高さ約20m・正面約20m・奥行き約7.8mで樫の丸柱が18本使われている立派な山門です。
特別拝観料大人500円を支払えば山門の中を拝観することができます。
本堂
本堂は創建以来十数回もの火災に遭い焼失してしまったけど、その度に信徒によって再建されて、現在の本堂は1707年(宝永四年)に再建された
建物で国宝に指定されています。高さ約26m・間口約24m、奥行き約54mという国内有数の木造建築です。
最奥の瑠璃壇には御本尊の一光三尊阿弥陀如来像が安置されており、たとえ住職でもその姿を見ることが出来ない。残念ながら中は撮影禁止なので中の詳しい写真は撮っていません。
お戒壇巡りにチャレンジしてきました。これはご本尊の真下に錠前があってそれを触ると極楽往生が約束されると言う・・・てっ事は極楽行きチケットが手に入ると言う事じゃん!これは行かずにはいられない(笑
中に入ったんだけど真っ暗!前の人すら見えない、しかも前はキャワイイ女性だった。真っ暗闇に女性の背後を取る!そんな邪心に駆られながら誤って(謝って)お尻を触らない様に注意しながら進みました。一歩間違うと極楽に行かず監獄に行ってしまう(汗
そんな欲情を抑えつつお尻じゃくて錠前に触れることが出来ました。メデタシメデタシ!これで極楽行き確定・・・ホッ!
爪彫如来像
本堂から少し離れた場所にひっそりと建っているお堂に親鸞聖人が残された爪彫りの阿弥陀如来が安置されていて眼病を治して頂ける仏様として篤く信仰されモッキーの友人も目の手術があると聞いていたのでここで無事に治る様にお賽銭と祈願をしてきました。
友人の目の手術が無事に成功して、多少なりともご利益があったみたいです。後日ここにお賽銭入れてお守りも買ってきたからその見返りとして生ビール奢れよ!と言った・・・チャッカリ者のモッキーであった(笑
むじな燈籠
善光寺からの帰り道怪しい像を発見!
気のせいか?どっかで見たような顔なんですけど?この顔にピンときたら「ニン」!あ!伊東四郎さんだ(笑
長野にせっかく来たのでおいしい物を食べてみたい!
kitchen vesta (キッチン ヴェスタ)・・・上の写真をクリックしてみてくださいね