英霊が祀られる靖国神社に参拝


2018年1月19日 友人と都内で新年会を行うことを決めた。会社が終わってからだと遅刻しそうなので午後半休を取って新年会に向かう。新年会は両国に16時半の集合だ!・・・さすがに時間が早すぎる!自称ミリタリーオタクのモッキーはこの靖国神社に行ったことがない!親友に話すと貴様!それでもミリタリーオタクか!ビビビーーンっと張り手のような罵倒をされてしまう。その為初めての靖国神社に参拝することにしました。
だが親友からはお参りだけにしろよ!くれぐれも遊就館には入るなよって念押しされた。うん大丈夫お参り程度にするから!って言って電話を切る

大鳥居を抜けた後に中央に鎮座しているのは大村益次郎の銅像
大村益次郎とは幕末の長州藩で維新の十傑の一人に数えられ、戊辰戦争で勝利の立役者となり陸軍建設の祖と言われている。明治2年(1869年)9月に刺客に襲われ重傷となりその傷により享年46で命を落とす。戊辰戦争での戦死者を祀る東京招魂社(現在の靖国神社)の建立に尽力し靖国神社創建者としての功績は大きい。

第二鳥居から神門でその奥には拝殿が見えます。

神門を通って中門鳥居と拝殿まで到着しました。
お参りの作法は境内の手水舎でお手とお口を清めてから拝礼は、本殿内・拝殿前ともに二拝二拍手一拝で行います。
日本の為に命を落とされた英霊の御霊に感謝申し上げ、家族の無事をお祈りしました。

無事に参拝も済ませてまだ時間もあるので、遊就館の玄関ホールを見学してみました。まずは零戦52型が出迎えてくれます。

展示されているのは 零式艦上戦闘機 五二型 三菱四二四〇号機
昭和二十年(1945年)、南洋最大の航空基地であったラバウルの滑走路付近に解体され放置していた機体を持ち帰り南洋諸島から回収したエンジンや部品等を揃えて復元を開始し1999年に零式艦上戦闘機の復元を完成したと書いてあります。かなり苦労して復元されたようで、本当にお疲れさまでした。

零戦の他に九六式十五糎榴弾砲と八九式十五糎加農砲が展示されています。
九六式十五糎榴弾砲は独立重砲兵第100大隊で運用され沖縄戦で洞窟陣地に埋もれていた状態で発見された。八九式十五糎加農砲も野戦重砲兵第1連隊第2大隊第4中隊の1門がレストアを経て極めて良好な状態で靖国神社に奉納された。九六式十五糎榴弾砲は松本零士先生の作品 ザ・コックピットの弾道トンネル150に登場し十五榴と4人の兵士の物語として登場します。

友人から遊就館の見学は禁止されていたが、すこし覗く程度は良いだろ・・・て事でチケットを購入して見学しちゃいます。

エスカレータを上がって2階から零戦を眺めました・・・おっと玄関ホールと大型展示物のある大ホールでの撮影は可能だがそれ以外は撮影禁止です。だからそこは説明は割愛します。興味があったら皆さんの足で現地に赴いてください。
そこから色々な展示物があるのだけど、あまり時間がないので眺める程度で足早に目的の大ホールを目指します

まず最初に目に飛び込んできたのは陸奥の副砲で五十口径三年式十四糎砲。昭和18(1943)年6月8日瀬戸内海の柱島泊地に停泊していた戦艦陸奥が突如大爆発を起こし沈没してしまい昭和48(1973)年に遺骨収集際に引き上げられた。

戦車第9連隊所属の九七式中戦車でサイパン島で実際に戦った戦車を日本に引き揚げ靖国神社に奉納したとの事。
歴史群像 1999年No37の97式改VS M4シャーマンの記述ではM4シャーマンの前面装甲50㎜は傾斜56度で避弾経始効果で実に90㎜近くの装甲厚になり、九七式改の一式四十七粍戦車砲では、いかなる至近距離でも前面装甲を打ち抜けなかったが、M4の75㎜砲は最大交戦距離の2000mでも容易に九七式の前面装甲を打ち抜ける。それどころか37㎜対戦車砲や57㎜バズーカー砲でも容易に装甲を打ち抜ける。ましてや写真の九七式中戦車の主砲は初速の遅い九七式五糎七戦車砲は軟目標やトーチカ銃座破壊用に用いられ対戦車戦闘には全く役に立たなかった。

松本零士先生の作品のザ・コックピットの鉄の墓標では九七式がM4と戦って簡単に撃破された。戦車兵の土方が『M4の76㎜砲は九七式の装甲などブリキのようにブチぬく・・・みじめなもんだよわが軍の戦車は』っと話すシーンも印象的だったし、NHKの放送でも黒煙を吹いている九七式のハッチから出た戦車兵の手が燃えていた。本当に悔しい思いをされて亡くなったんだな・・・ってシミジミ思った映像だったよ

九七式の隣には八八式七・五糎野戦高射砲が展示されています。これはニューギニア戦線ウエワクの防空を担当した高射砲。高初速の高射砲のため装甲貫徹力は高いため対戦車砲としても使用された。

四一式山砲。日露戦争後の明治四一年に制式化されたかなり年代物の砲で分解して人力で運べるので山岳地帯でも使うことがある。この展示されている砲は宇都宮の野砲兵第十四連隊でニューギニア戦線で使用された歴戦の連隊砲。

四式二十糎噴進砲はあまり見かけない砲だが、硫黄島で玉砕した栗林中将の小笠原兵団の噴進砲中隊の装備で上陸軍を一時足止めするなど進行を食い止めるも全弾うち尽くしたのち全員玉砕した。

やはりこの大ホールでひと際目立った存在なのが、この艦上爆撃機『彗星一一型』
彗星はカッコ良いなぁ~見とれちゃいます。
日本軍機にはあまり数がない水冷式エンジンでスマートな機首にこれもあまり数が多くない中翼配置と機体下部の爆弾倉は独特の形で優美な機体になっています。

水冷エンジンの熱田二一型発動機はドイツのダイムラー・ベンツのDB601を国産化したエンジンで高性能で高速性を誇ったが、当時空冷エンジンがほとんどだった日本機の中で生産及び整備に不具合が生じ稼働率の低下を招いた。これは陸軍機の飛燕にも言える事で技術大国ドイツだから出来たのだが、技術の未熟な日本にとって扱いにくいエンジンで、飛燕もこの彗星も後に空冷エンジンに転換される事になる。

この機体は中部太平洋のカロリン諸島にあるヤップ島の滑走路の脇のジャングルに朽ち果てた姿で放置されていたが、日本に帰ることが出来てこの靖国神社に奉納された。

ここからは悲しき特攻兵器の話になります。この彗星も艦上爆撃機の活躍より大戦後半の特攻機として出撃する機会が多くなった。
そもそも特攻・・・特別攻撃隊とは太平洋戦争終盤のレイテ沖海戦で大西瀧治郎中将が敵空母を一時的に使用不能にする為に命令し、決死ではなく必死の攻撃で統率の外道とさえ言われたが、当時練度が低く飛ぶことがやっとの兵に雷撃や急降下爆撃などの高等技術がそもそも無理で制空権が握らている現状では艦爆や艦攻などの足の遅い攻撃機だといたずらに敵の好餌になってしまう。それならいっその事爆弾を抱えた運動性の良い零戦を使って敵空母に突入させ撃沈は無理でも飛行甲板だけ使用不能にさせればよい。だが神風攻撃は予想以上の大きな戦果生むことになり決戦の為のやむを得ない攻撃はいつしか特攻を行うことが目的となった。

海軍中佐の中島 正にこのような話がある。フィリピンのタクロバンにある桟橋に特攻せよと命じた。せめて輸送船に突入させてくれと懇願する部下に中島は「目的は戦果じゃない。死ぬことにあるんだ」と答えたという。最初はやむを得ず命じた特攻もいつしか常態化し、一億国民総特攻の勇ましい掛け声のもと特攻ありきの作戦や兵器が次々に開発された。

特攻専用の兵器としてこの特殊潜航艇『海龍』は艦首に600㎏の炸薬を装着して敵艦に体当たり攻撃をおこなう。当初は写真のように艇外の射出筒に格納された2本の魚雷で攻撃し撃ち尽くしたのち敵艦に突入し艦首の600㎏の炸薬により敵艦を撃沈すべく建造されたが速力が遅いため輸送船の撃沈を主目標とした。ただ未熟な乗組員が護衛艦をやり過ごし敵速・方位・距離を瞬時に計算し魚雷を撃ち命中させることは至難の業で、ましてや潜航速度10ノット以下の鈍足で護衛艦の追撃を振り切り輸送船に突入出来たか?かなり疑問が残る兵器だった。実際終戦時に海龍を鹵獲した際は艇外の魚雷はなく、体当たり突入を主眼に置いた潜航艇となっていた。訓練でもかなり危険を伴い、速度を上げると沈降し水中に潜ろうとする傾向があり基礎訓練でも殉職者がたて続けて出た。兵器としては未熟で戦果の乏しい結果になった可能性が高い。

人間魚雷と呼ばれた回天。人間が乗り込んで魚雷を操作し敵艦に突入する、まさに狂気としか思えない兵器。脱出装置がなく一度出撃すると攻撃の成否にかかわらず生還が期し難い。回天は大型魚雷「九三式三型魚雷(酸素魚雷)」を改造し簡単な操船装置や調整バルブ、襲撃用の潜望鏡があり、一人で操船する。回天の最初の作戦であるウルシー泊地攻撃で給油艦『ミシシネワ』を撃沈する戦果をあげる。回天による攻撃は発進49基で撃沈3撃破4で出撃した乗組員は全員戦死している。

水上特攻艇『震洋一型』合板作りで船首に250㎏炸薬を搭載し敵艦に突入するモーターボート。製造が比較的容易で終戦までに6200隻ほど建造された連合軍の4隻に損害を与えた。震洋の戦死者は2,500人以上とされ、その中には終戦翌日の1945年8月16日、高知県で第128震洋隊に出撃命令が下され、準備中に爆発事故が起こり111名が死亡した。第132震洋隊も終戦後に出撃命令が出たが司令部の少佐が独断で命令したためで、部下の反対により中止となった。この様に戦争が終わったにもかかわらず、中級将校は自ら死ぬわけでもなくつまらない自尊心の為に本来死ななくていい人も死なせようとする事に憤りさえ覚える。

最後に紹介する特攻兵器は『桜花』は実戦に投入され機首に1200kgの徹甲爆弾を搭載しロケット進推で急降下時の最高速度が983km/hに達し射出されると迎撃が困難でアメリカ軍が非常に恐れた兵器。だが航続距離が極めて短いため母機である一式陸攻に吊るされて目標付近で分離し発射されるが、鈍重な一式陸攻がこの桜花を積むとさらに運動性能が落ち、アメリカ艦隊の遥か手前でアメリカ戦闘機の餌食になってしまった。それでもピケットラインを警戒している駆逐艦に攻撃が集中し1隻撃沈 3隻大破 3隻損傷の戦果を挙げるも桜花パイロット55名が特攻で戦死しその母機の一式陸攻の搭乗員は365名の命が失われた。

またまた松本零士先生のザ・コックピットの話になるが、音速雷撃隊と言う物語で野中少尉が搭乗する桜花とその母機の一式陸攻には山岡中尉が機長を務める。またアメリカ軍戦闘機がこの攻撃を阻止すべく出撃し『人間爆弾か・・・大バカ者め』とつぶやきながら出撃する!多くの一式陸攻が撃墜され、山岡中尉の一式陸攻も被弾炎上するも間一髪野中少尉が操縦する桜花が射出され見事にアメリカ空母に突入し轟沈させる。それを読んだ親友が、なんだ桜花は空母を撃沈したんじゃん!って言ったからそれは漫画の話だよ!実際には駆逐艦1隻を沈めた程度と説明した。

こうも特攻兵器を目の当たりにしてしまったので少し考えさせられる。建前は志願と言うが、とても特攻を拒否できる状況ではなく、顔では笑って靖国で逢おうと別れたが果たして心の中まで笑顔でいられたのか?若くして命を落とした人も、本心では生きたくて生きたくて仕方がなかったのでは?特攻を命令した大西瀧治郎は終戦時に割腹自決をし、沖縄戦で特攻を指揮した第五航空艦隊長官としての宇垣纒は終戦後自ら特攻隊を率いてアメリカ艦隊に突入して戦死した。
べつに彼らの行動が立派だと思わないが、若い人を死地に導いてしまった事への彼らなりのケジメを付けたのだと思う。先ほどの特攻は死ぬことだうそぶく中島 正は責任を感じて自決するわけでもなく、その後自衛隊に入り空将補まで昇りつめ静かな余生を送っている。多分終戦まで死ぬことをひたすら強要した中級将校の多くは、戦争が終わった途端、仕方がないの一言で済ませて、何も無かったかのようにその後人生を送ったんだと思う。
我らは社会のルールから逸脱しなければ、何でも自由!発言も自由だし行動も自由。しかも明日の命の心配をする事もない。家族や友人もみんな幸せに生きている。そんな素晴らしい世の中に生きているからこそ、生きたくても生きられない人たちに思いを巡らせる事は必要なのでは?と感慨に浸ってしまった。

戦争なんて文献や映像だけしか知らない。実際見たことも体験した事も当然ない!だけどおじいちゃんの時代のつい70数年前の出来事で日本人だけでも軍民合わせて200万人以上の尊い人の命が奪われた。この後会う親友と以前飲み屋で東京大空襲の話をした。彼の親戚は東京の下町でB29の攻撃にあい、業火に焼かれて命を落とした。その実体験とモッキーの文献でしかない知識との相違で口論になったこともある。まだまだ太平洋戦争は過去の悲しい出来事として終わらせるのではなく今後の日本もそんな悲惨な未来にならず平和な日本を守っていきたい。少なくとも死んでしまった英霊は再び戦争になることを望んではいないのだろうとここに来て色々な文献や兵器をみて実感できる。
・・・
16時10分に携帯が鳴った。発信は親友だった。
親友:『モッキー今どこ?』
モッキー:『え”・・・あ! 今・・・遊就館』
親友:『なんだよ!あれだけ遊就館には入るなって言っただろ!モッキーの事だから入ったら時間を忘れて見てしまうのは分かっていたんだ(怒』
両国に16時30分はとても間に合わない!1月の寒空の中、小太りのおっさん一人が飯田橋まで汗だくで駆け足している。
新年会に遅刻しないように会社を午後休んできたのに、まさかの大遅刻に!親友からビビビーーンっと張り手のようなお説教を食らってしまった(苦笑

宿情報

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