令和元年5月は新天皇即位に伴い10連休になったので足を延ばして京都府舞鶴に訪問しました。今回は舞鶴訪問記になります。天然の要害である舞鶴湾に面した舞鶴は鎮守府が置かれてまさに軍都と呼ぶにふさわしい場所で今回はミリタリー色が強い舞鶴のご紹介を行いたいと思います
最初に目に留まったのがしおじプラザにある錨のモニュメントでこれは戦争前につくられた航路標識係留用のもので、重さが約4トンあり、公園のシンボルとして市が海上自衛隊から借り受けて設置したものとウィッキペディには書いてあります。
やはり軍港のある舞鶴は軍艦がよく似合います。海上自衛隊舞鶴地方隊があり今回の訪問は護衛艦「あたご」を見学するのが一つの大きな目的でした。手前の船が多用途支援艦「ひうち」型AMS-4301「ひうち」
背後にある大きな船が補給艦「ましゅう」型AOE-425「ましゅう」
護衛艦「あたご」乗艦記はこちらをクリックしてください
令和元年5月2日 DDG-177 護衛艦「あたご」に乗艦する
赤レンガパークに来ました。ここは帝国海軍 舞鶴鎮守府の赤レンガの建物で重要文化財に指定されるなど、歴史的価値の高い赤レンガの建築群です。朝9時なのでまだ人通りもまばらなので思いっきり撮影が出来ます。
日本遺産・明治時代から残る海軍の倉庫群
スポット名 | 舞鶴赤れんがパーク |
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住所 | 〒625-0080 京都府舞鶴市北吸1039-2 |
電話番号 | 0773-66-1096 |
営業時間 | 外観見学自由 館内:9:00-17:00(イベント時は22:00まで) |
休業日 | 館内 年末年始 |
料金 | 見学無料(赤れんが博物館は有料) |
駐車場 | 有 |
トイレの有無 | 有 |
HP | https://akarenga-park.com |
○最新情報については各施設等にお問い合わせください。
○このページの情報は2024年4月29日に更新されました。
https://maizuru-kanko.net/archives/sightseeing/215
(舞鶴観光ネットより転載)
ここの赤レンガ倉庫のお話を少し!写真は赤レンガ3号・4号棟ですが、ここには2~5号棟の赤レンガ倉庫が並んでいます。見過ごしてしまったのですが、ここから少し離れた場所に赤レンガ博物館があります。日露戦争開戦前の明治36年7月に海軍の魚形水雷庫、いわゆる魚雷倉庫として建築された舞鶴のなかでも最古の鉄骨レンガ建造物でその中は博物館として世界中のレンガが集められ、レンガを学ぶことが出来ます。敷地内には8棟の赤れんが倉庫があります。
日本近代化の躍動を体感できるまちとして横須賀・呉・佐世保・舞鶴の鎮守府が置かれて町が日本遺産として登録されているんだね。まあ~世界遺産は難しいかな?歴史ガー!って狂った様に叫ぶ国が近くにあるからね(苦笑
さて赤レンガ倉庫に入ってみましょう!倉庫だけにけっこう高さがあります。
すこし舞鶴鎮守府の歴史を紐解いていこう!明治の時代 日本は富国強兵が叫ばれ軍事拡張を進めていたが、同時に日本を取り巻く環境の厳しさを痛感した!最も恐れるのは世界有数の陸軍大国の帝政ロシア。ロシアは領土拡張の野心をあらわにしている為、日本が最も警戒すべき国だった。その対ロシア戦略上日本海に海軍軍事基地を建設する必要に迫られた。ここ舞鶴は湾口が狭く、防御に適している為、条件の非常に良い軍港として着目される。
舞鶴の軍港建設費用には日清戦争によって清国から支払われた賠償金が充てられ1901年(明治34年)10月1日に舞鶴鎮守府が開庁し初代司令長官は後に日本海海戦でロシアに大勝利した東郷平八郎が任命された。
これは朝代神社奉納和船の模型です。
朝代神社に奉納された弁才船(江戸時代から明治時代に使われた和船)の模型が展示されています
日本海軍の重巡洋艦「青葉」の模型があります。なぜ青葉が展示されているかと言うと、舞鶴の近くの山 青葉山より名前をとったのでここに展示されているようです。
青葉と聞くと1942年(昭和17年)10月11日に発生したサボ島沖海戦を思い出してしまいます。ガダルカナル島争奪戦の際に重火器・糧食・人員等を満載した輸送部隊の日進隊を援護すべく第六戦隊司令官五藤存知少将を指揮官とする第六戦隊 青葉、衣笠、古鷹の重巡3隻と第11駆逐隊の2隻の駆逐艦で出撃。ガダルカナルのサボ島沖でスコット少将率いるアメリカ艦隊に捕捉され先制攻撃を許す!五藤少将は先行する日進隊からの誤射と勘違いし「ワレアオバ」の発光信号を明滅させていたが、「青葉」は艦橋に直撃弾を受け五藤少将も瀕死の重傷を負い最後まで同士討ちと信じていたらしく、「馬鹿者、馬鹿者」と言いながら絶命したと伝えられる。
不幸中の幸いに後藤少将の命を奪った命中弾が不発弾で他も不発弾が多く、戦闘能力を失いつつも煙幕を展開して戦場を離脱し沈没は免れました。仮に全砲弾が炸裂していれば青葉沈んでいたとされ、僚艦の重巡古鷹を失い駆逐艦1沈没と惨敗を喫した。
この写真は呉軍港空襲で命中弾4を受けて艦尾はほぼ切断状態となり、右舷に傾斜して着底しそのままの状態で終戦を迎えた
舞鶴鎮守府に関する展示を行っています。
日本海海戦でロシアに大勝利した東郷平八郎連合艦隊司令長官の座乗艦 戦艦三笠の模型
日本海海戦と戦艦三笠の詳しい解説はこちらをクリックしてください
舞鶴赤れんがパークを見終わり次のミリタリー色の強い施設を目指して進撃を開始します。(苦笑
赤れんが配水池(旧日本海軍第一配水池)を発見!この場所に興味があるわけではなく看板の艦隊これくしょん 通称艦これの島風の看板に興味津々です(笑
てくてく歩いてお腹もすいてきてしまったので海上自衛隊 舞鶴地方総監部にある「しらね食堂」を目指します。
「しらね食堂」に到着!看板には海軍記念館 総監部厚生センター 復刻しらねカレーが食べれるそうで楽しみです。
店内には護衛艦「しらね」の模型やゆかりの品がびっしりあります。食堂で使用しているテーブルや椅子は護衛艦「しらね」で実際に使われていたものです。
これが護衛艦しらねのカレーのレシピを忠実に再現したカレーで料金は大人1250円です。まあ~マニアさん以外はふーーーんって感じの味なのかな?自衛艦になった気分で食事が出来る点がGoodです!
ちなみに2021年4月 に舞鶴国道27号沿いに「しらね食堂」さんがオープンされましたそうですね
https://maizuru.mypl.net/shop/00000366577/
軍都 舞鶴の旅の最後を締めくくるのが東郷邸です。
東郷邸は今は舞鶴地方総監部会議所でこの会議所は、明治34年10月1日に舞鶴鎮守府が開庁され、東郷平八郎中将 (当時55歳)が初代司令長官に親補され、明治36年10月19日常備艦隊司令長官 になるまでの2年間にわたり過ごされた官邸で、以来歴代長官の官邸として大 東亜戦争終戦時まで使用されてきた由緒ある邸です。
昭和28年に海上自衛隊へ移管され、舞鶴地方総監部会議所として保守管理しています。
(舞鶴地方隊ホームページより転載)
毎月第一日曜日のみ一般公開されているようですが今回は特別公開で見学することが出来ました。
思いっきりミリタリー!軍都 舞鶴の旅のレポートは如何でしたでしょうか?
旧海軍や今の海上自衛隊などミリタリー大好きな人にはとても楽しい場所になります。よかったら皆さんも舞鶴も訪問してみては如何でしょうか