終戦の日企画 ラバウルからガダルカナル島までの鎮魂飛行

モッキー
モッキー

ひよっこパイロットが撃墜王を目指す

mokkyのエースパイロットを見て頂き誠に有難うございます

戦後79年の終戦の日を迎え多くの英霊の御霊に哀悼の誠を捧げるため

太平洋戦争の激戦地をめぐる旅を行いたいと思います

みーくん
みーくん

チャーター機借りていくの?

モッキー
モッキー

一介の サラリーマンではそんなセレブな旅をすることが出来ないので

マイクロソフトフライトシュミレーター2020

有料機体の三菱A6M5 零式艦上 戦闘機五二型で

激戦地を巡る旅をシリーズ化していきたいと思います

モッキー
モッキー

今回は第1回目として多くの艦船と航空機そして陸海軍の将兵や船舶の乗組員などを失いアメリカの反転攻勢に勢いづかせたガダルカナル攻防戦とその出撃拠点であるラバウルそして山本五十六連合艦隊司令長官が撃墜された現場などを鎮魂の意味も込めてめぐっていきたいと思います

モッキー
モッキー

今見えているのは手前の大きな山が母山

その先には妹山と書いて

いもやまと言うのかはっきり分かりません

今回のラバウル上空の解説は

歴史群像 太平洋戦史7 ラバウル航空戦と

防衛庁 防衛研究所 戦史室 南太平洋陸軍作戦 第1 (ポートモレスビー・ガ島初期作戦) のラバウル付近地形図を参考に解説させていたいております

モッキー
モッキー

手前の茶色い山が活火山のタブルブル山

日本名で花咲山

1994年の噴火によりラバウル市街が大きな打撃を受けその手前にあったラバウル航空隊が使ってた東飛行場 ラバウル空港は放棄されました。

対岸にあるのが西吹山 ラバウル港の手前にあるのが松島で今は陸続きになっていますが日本統治下の時代は小さな橋が設けられて本当に島でした

奥が水上機基地・ラバウル市街と第11航空艦隊司令部があります

みーくん
みーくん

モッキーところでラバウルってどこにあるの?

モッキー
モッキー

えーそこから説明するの?

ラバウルがあるのはビスマルク諸島でパプアニューギニアの東にある大きな島

ニューブリテン島でその島の北東に位置します

日本からは距離4600kmと遠く赤道よりに位置する場所なんだよ

モッキー
モッキー

この辺りが北飛行場がありました

モッキー
モッキー

西吹山の背後に西飛行場

そして少し離れた位置に南飛行場があり

水上機基地を含めると5つの航空基地がありました

モッキー
モッキー

ラバウルはオーストラリア委任統治領であったが日本の主要基地のトラック島に近く連合国の攻撃拠点になり得るので1942年(昭和17年)1月23日に攻略を開始し翌日にはラバウルを占領しました

モッキー
モッキー

その後旧式の96艦戦が主体でしたがラバウルに4月中旬 台南空の零戦が進出し

のちにラバウルの三羽烏と言われた西沢・笹井・坂井のエースパイロットが生まれラバウルは強力な航空隊になりました

モッキー
モッキー

今表示している写真は1943年(昭和18年)11月5日にアメリカ空母艦載機よるラバウル初空襲の写真です。

左前方に西吹山その対岸が硫黄崎

中央寄りに松島がありラバウル港は大小艦艇があわただしく回避行動をとっている様子が見て取れます

モッキー
モッキー

今は大体同じ所を飛行していますがこの日は空母サラトガから発進した第3空母航空群の出撃可能な艦載機全ての97機によるラバウル地区を空襲し零戦71機・三号爆弾装備の彗星5機が迎撃したが第四戦隊の高雄・摩耶が被弾し愛宕・筑摩も至近弾を浴びその他の艦艇も損害が出ましたが沈む船はなく零戦5機、彗星1機を喪失し米軍は艦爆、艦攻など10機を失いました。

このように昭和18年には空母艦載機の空襲を受けることでここも安全ではなくなり主力艦艇はラバウルからトラック島に移ることになりました

モッキー
モッキー

それではそろそろ次の目的地

1943年(昭和18年)4月18日

山本五十六連合艦隊司令長官は前線視察の為にここラバウルを飛び立ちブーゲンビル島ブインに向け飛行中にアメリカ陸軍航空隊のP-38戦闘機16機の襲撃を受けブイン手前のジャングルに墜落してしましたがその現場に行きたいと思います

みーくん
みーくん

ブインってどこにあるの?

モッキー
モッキー

それでは位置を確認しましょう

今表示しているのは大東亜戦争全史第2巻

付図第3のニューギニアソロモン方面の地図がありましたのでこれを使って説明します

ブインまでの道のりは262ノーティカルマイル 約485km

高度5000フィート 1500m

速度200ノット 時速370キロで飛行します

だいたい1時間半の時間がかかりますが一式陸上攻撃機の巡航速度が零戦より遅い170ノットだからそれと一緒に合わせて飛行すると1時間45分になると思われます

モッキー
モッキー

日本の直掩戦闘機隊員6人の中の唯一の生き残りの柳谷飛行兵長と宇垣参謀長の手記とアメリカ軍の戦闘記録などを元に歴史群像 太平洋戦史7 ラバウル航空戦の内容を引用してお伝えします

モッキー
モッキー

また話している間単調な場面が続きますので当時の記録映像もお流ししますが映像は山本長官機撃墜の記録が残っていないのでその当時の適当な実写とモッキーが作った海軍甲事件を題材にしたプロモデルをつかいますのでご了承ください

みーくん
みーくん

下手なプラモの写真だから許してね

モッキー
モッキー

なんかむかつく言い方だな

モッキー
モッキー

1943年4月18日日曜日の朝の気温は高くさわやかな南国の朝を迎えました

ヘンダーソン飛行場にはP-38ライトニング18機が並べていました

みーくん
みーくん

あれさっき16機と言ってなかったけ?

モッキー
モッキー

出撃は18機だったんだけどパンク事故で1機が出撃不能で1機は途中燃料系統の不調で基地に引き返したので出撃したのは16機になりました

モッキー
モッキー

P-38の出撃から35分後の0600 朝6時

陸攻2機 直掩の零戦6機がラバウル東飛行場を離陸しました

1番機には山本司令長官

2番機は宇垣参謀長

モッキー
モッキー

宇垣の手記では少量の雲が散在するも視界良好にして上飛行日和なり

陸攻はお互い翼が触れんばかりの近接編隊飛行で2番機は1番機の斜め後方で

1番機の山本長官の横姿や中を移動する人の姿もありありと認められた

モッキー
モッキー

通いなれたブイン街道で敵機は現れず攻撃任務ではない気楽に飛べのどかな気分で小隊長の日高上飛曹機の右翼が重なり合うほど近づいてみた

岡崎二飛曹はひげ面の人懐っこい笑みを浮かべていた

ふと陸攻に目を向けると宇垣参謀長は居眠りをしている

スピードの遅い陸攻と一緒なので7時半を回ったころに緑のジャングルのかなたにブイン飛行場が見えてきた

モッキー
モッキー

同じころ攻撃隊のP-38は日本軍のレーダーを避けながら高度50フィート 約15メートルの高さで時計とコンパスを頼りに飛び続けていた

もう会敵の時間の筈だが日本軍機を見つけられない

航続距離の関係でそう長くはとどまっていられない。

3マイルほど陸地に接近させ全員で索敵に入った時ダグラスカニング中尉が無線封止を破り

敵発見11時方向と叫んできた

まぎれもない高度4500フィート1400mに

敵のベティー2機

上空にゼロ3機

さらにその後方に3機のゼロが見えた

とっさに時計をみた7時35分だ

まさに奇跡の瞬間だった

モッキー
モッキー

宇垣のもとに機長より

0745バラレ着の予定との紙が渡されたあと15分かとつぶやいた瞬間に陸攻がエンジンの回転を上げてジャングルに突っ込み始めた宇垣は機長にどうしのかと聞いたら何かの間違いでしょうとの答えが返ってきた

モッキー
モッキー

直掩の零戦も異変に気付いた

まず森崎中尉機が突如機首を下げて突っ込んでいく

日高上飛曹も急に増速して長官機の前に飛び出す

何か変わったことが起きたなと周りを見渡した

モッキー
モッキー

いた 右前方一群の飛行機がこちらに向かっている

敵のP-38だ

まさかと思った敵機の襲撃

陸攻は機首をさげ全速力でブイン基地に逃げ込もうとしている

敵機は長官機にめがけて右回りで上昇してくる

そうはさせじと増槽をおとして要撃体制に入った

モッキー
モッキー

次にアメリカ陸軍公式記録ではこのように伝えている

指揮官のミッチェル少佐は補助タンクを切り離して陸攻と同高度に達した時攻撃隊のランファイア大尉に攻撃開始を命じた

モッキー
モッキー

ランファイア隊は編隊を率いて陸攻に接近したが陸攻2機は機首をぐっと下げ1機は海岸線の方に向けて離脱を開始した。

護衛の零戦はランファイア機を攻撃するために急降下をしてきたので陸攻への接近は不可能と考えて一旦上昇し1800mまで達したら反転急降下に転じてジャングルをかすめて退避する陸攻に迫った

モッキー
モッキー

ランファイア機は銃撃を行い片翼が飛散し炎上した続けてバーバーが発砲し尾部が飛散しそのまま陸攻は半回転で背面姿勢のままジャングルに突っ込む形で墜落した

同じころモライ岬付近ではホルムズが陸攻2番機を補足し銃撃をおこないエンジンから黒煙を吐かせ撃墜した

モッキー
モッキー

ランファイアが終戦山本キラーとして一躍英雄になったが最終的にとどめを刺したのはバーバーでランファイアとバーバの共同撃墜とする公式記録になった

モッキー
モッキー

さて山本長官の墜落現場ですがいろいろネットや資料を探してみたのですが正確な座標が見当たらず分かっているのは

モライ岬から303度

10海里18kmの

ワマイ川西側の地点とあり

ネットでモライ岬を基点として測ったら

モッキー
モッキー

大体このあたりと分かったので正確ではないですがこの付近に墜落したものと思います

みーくん
みーくん

ちょっと見てくればいいじゃん

モッキー
モッキー

近所のお買い物みたいに言わないでよ

多分現地に行くには多額のお金と労力がかかるので無理だね

モッキー
モッキー

ここからブイン基地までは本当に目と鼻の先でもう少しタイミングがずれたらブインに滑り込むことが可能なだけに本当に不運でした

ちなみにここブイン基地は戦後使われることがなく今はジャングルに沈みかつてここに飛行場があった面影はなくひっそりとたたずんでいます

モッキー
モッキー

ここからブイン基地までは本当に目と鼻の先でもう少しタイミングがずれたらブインに滑り込むことが可能なだけに本当に不運でした

モッキー
モッキー

ちなみにブイン基地は戦後使われることがなく今はジャングルに沈みかつてここに飛行場があった面影はなくひっそりとたたずんでいます

モッキー
モッキー

次は太平洋戦争最大の激戦地ガダルカナル島に行きたいと思います。

みーくんはガダルカナル島は知らないでしょ

みーくん
みーくん

馬鹿にするなよ

ガダルカナル・タカさんは知っているよ

モッキー
モッキー

たぶんみーくんが言っているガダルカナルとは違うと思います

モッキー
モッキー

さて先ほどの地図を使って再度確認します

ラバウルからガダルカナル島までの直線距離は

距離563ノーティカルマイル(海里) 1042Km

速度200ノット時速370キロで2時間半かかりますが

実際にはもう少し速度を落として飛んでるようなのでさらに時間がかかります

モッキー
モッキー

あまりに搭乗員に負担がかかりすぎるので急ピッチでブインの飛行場の建設を急がせました

みーくん
みーくん

働き方改革が必要だよね

モッキー
モッキー

ほんとだね今も昔も個人に負担をかけすぎだよね

って言うことでブイン基地が建設されたのが10月だからやっと激務の負担が少し楽になったんだよね

今回はブインからガダルカナル島まで飛んでみました

モッキー
モッキー

200ノットで1時間半かかるのでまたダラダラやっていると時間だけが過ぎていきますので今回は1942年8月8日第一次ソロモン海戦が勃発したサボ島とエスペランス岬の間まで一気に進めます

モッキー
モッキー

三川軍一中将率いる第八艦隊として即時出撃可能な重巡洋艦5・軽巡洋艦2隻・駆逐艦1隻を急遽集めた

8隻の急ごしらえの艦隊は訓練する時間もなく艦隊運動に必要な回転整合すら行っていませんでした

みーくん
みーくん

回転整合って何?

モッキー
モッキー

回転整合とは艦隊が速力を統一する為に各艦のスクリュー回転数を調整する作業で艦隊運動には必須の作業なんだけどそれすら行ってないということで本当に寄せ集め艦隊になりました

モッキー
モッキー

Iこんな寄せ集めの状態なので

複雑な艦隊運動は避けて

各艦1000mの間隔で

突撃速度26ノット固定

単縦陣

攻撃に先立ち水偵から敵後方に吊光弾を落として

攻撃は旗艦鳥海の発砲に従う

敵輸送船を目標として攻撃は一航過をもって終わりとするので

反復攻撃はしない

モッキー
モッキー

夜戦に圧倒きな強さを持つ第八艦隊がわずか6分間の戦闘で一方的に勝利し

豪重巡キャンベラ

米重巡アストリア、クインシー、ヴィンセンスを撃沈し

重巡シカゴ、駆逐艦ラルフ・タルボット パターソンが大破

と言う大戦果を挙げましが先ほどの一航過の攻撃で引き返すという方針の為本来の目的であった敵輸送船に対しては全く手を付けず引き返したことにより ガダルカナルへの膨大な軍需品の揚陸が成功し戦術的には勝利を収めた日本もその後展開で戦略的に取り返しのつかない失敗を犯したのでこの後説明する陸軍部隊の苦戦につながります

モッキー
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ガダルカナル島奪還の任務は日本陸軍最強と言われた一木支隊が行います

一木支隊とは旭川第7師団

歩兵第28連隊を基幹とする

兵力2000人で支隊長は連隊長の一木清直大佐であった

この一木支隊はミッドウェイ作戦に参加予定だったが同作戦が中止になったので急遽にガダルカナルに派遣された

モッキー
モッキー

上陸は二手に分かれまず先遣隊として一木大佐率いる第一梯団900人は6隻の駆逐艦に分乗しその第一ソロモン海戦の10日後の8月18日夜にタイボ岬上陸しました。

本来なら第2梯団と合わせて攻撃を行うはずが上陸して1時間後には後続の第2梯団の到着を待たずに敵飛行場に向けて海岸線にそって行軍を開始します

モッキー
モッキー

一木支隊長は行軍・即索敵・即戦闘の積極策に出ました

まず一木支隊長は敵兵力を2000名と読んでいて攻撃目標をイル川から敵背後に対する夜襲をかける事としました。

敵情を過小評価した故に歩兵部隊は小銃で機関銃8丁と大隊砲もわずかで

もちろん重砲はなく速射砲中隊も先発できなかった。

駆逐艦輸送と言う非常手段の為軽装備なるのは仕方がないがあまりにもアメリカ軍を弱兵と侮ったかがわかります

モッキー
モッキー

実際にはアメリカ軍の兵力は精強と謳われたヴァンデグリフト少将の海兵1個師団1万100名

重火器はもちろん軽戦車をも持っていました

一木支隊長が背後と想定した地点は実は正面でしかも一番頑強な抵抗線に突入した

モッキー
モッキー

しかも奇襲ではなくジャングルに仕掛けられた聴音機により日本軍の接近を察知したアメリカ軍は万全の態勢で迎撃し8月21日未明から始まった戦闘はまさに一方的でした

モッキー
モッキー

日本軍の突撃に対して重機関銃の十字砲火に榴弾砲と迫撃砲が加わり進退窮まった一木支隊の背後には水陸両用戦車と軽戦車まで繰り出し海岸線に追い詰めらて完全に包囲され21日午後3時には一木支隊はほぼ全滅となり一木大佐も戦死しました

モッキー
モッキー

一木支隊第一梯団の全滅の報を受けた第17軍百武中将は事の重大さにようやく気付き一木支隊の後続部隊として編成されていた

歩兵第35旅団124連隊の川口支隊に

第2師団歩兵第4連隊の中から

第2大隊と野砲第2連隊第2中隊を引き抜き

一木支隊第2梯団を新たに加え

田村少佐の指揮下に置いた青葉大隊を編成しました

モッキー
モッキー

川口支隊は8月30日夜からネズミ輸送と言われる舟艇に乗り込んで順次ガダルカナル島に上陸

川口少将も駆逐艦に乗り込んで8月31日タイボ岬に上陸しました

残りの青葉大隊は9月4日に同じ地点に上陸し川口支隊長は攻撃開始を9月12日に敵陣地の背後の山側から夜襲をかける作戦を立てました

モッキー
モッキー

一木支隊の失敗に懲りた第17軍は重火器の編成を行ったのだが輸送手段が駆逐艦と言うこともあり重火器は運べずいくつかの火器を運べたがそれでもジャングル内を人が担いで運ぶことが困難になり時間の制約もありほとんどが途中で放棄されました。

満足な地図を渡されずコンパスだより進む川口支隊の各大隊は海岸線を避けジャングルに踏み込んで昼でさえ薄暗く夜は真っ暗で発光する木の燐を前に行く戦友の背中にくっつけてそれを目印に行軍するありさまでなんとか12日にはおおむね攻撃位置につき夜襲の決行を20時に定めたが中央隊の第一大隊が20時を待たずムカデ高地に攻撃を開始した

モッキー
モッキー

野砲の援護もなく二重の鉄条網に激しい十字砲火べトンで固めた敵防御陣地に肉弾攻撃を行う姿はさながら日露戦争の旅順要塞攻略の様だった。

第一大隊は第1線を突破するも第2線を抜けず激しい放火で死傷者が続出して大隊長も早々に戦死しました。

右翼隊の一木支隊第2梯団の熊大隊も機関銃の弾幕によりなかなか前に進めず

歩兵第4連隊第2大隊の青葉大隊は奮戦しアメリカ海兵師団司令部手前まで前進したがあと一歩のところで押し返され1000人いる兵力も200人まで激減した。

武器弾薬の不足により総攻撃の失敗を認めざるを得ず戦闘を中止しルンガ川南西地区に撤退を始めた。

モッキー
モッキー

2度の失敗よりに新たに第2師団のガダルカナル派遣が決定され

歩兵第4・第16・第29連隊に

野砲兵第2連隊と

第38師団 歩兵第230連隊で

攻撃を行うこととし

10月3日にガダルカナル西岸のタサファロンガに上陸する

工兵によるジャングルを開拓して道を作る丸山道も作業は想像を絶する困難さを極め遅々として進まなかった

モッキー
モッキー

敵背後に道を作っている最中に歩兵第4連隊は10月6日にマタニカウ川で戦闘になり戦車中隊は全滅

砲弾も使い果たし何も得る所がなく第4連隊第1大隊はほぼ壊滅し弱体化していった。

モッキー
モッキー

攻撃開始展開線まで道の開拓の見通しが立たない中これ以上攻撃の延期を続けるとこもできず10月24日夜襲が決定されました。

攻撃個所は川口支隊と同じムカデ高地

夜の闇と錯綜する地形そして豪雨も加わり各部隊かなりの混乱のなか攻撃が開始されアメリカ軍の攻撃の激しさに夜襲に失敗したことに悟るのにそう長時間はかからなかった。

モッキー
モッキー

左翼の第29連隊は大打撃を受け右翼主力の第230連隊の進撃も止まった。

この状況を打破するために予備の第16連隊を投入することになるが激しい砲火の為一夜にして連隊長と二人の大隊長が戦死した。

10月26日攻撃失敗が確定的となり万策尽きた丸山師団長は攻撃中止命令を出して通ってきた丸山街道を引き返えした

モッキー
モッキー

退却時は逃げるので精いっぱいで動けない負傷者は置き去りとなり丸山街道は白骨街道と化した。

川口支隊と第2師団の主な攻撃個所になったムカデ高地はアメリカでは

エドソンリッジまたの名を血染めの丘と呼ばれ多くの将兵が命を落としました。

モッキー
モッキー

このガダルカナル攻防戦で奪還の目途がたたず損害ばかりが増え12月31日の御前会議でガダルカナル島の撤退が決定されました。

18年2月1日から7日にかけて行われた撤退作戦では無事終了しこのガダルカナル攻防戦の幕を閉じました

モッキー
モッキー

何も得るものはなくウィッキペディアでは

死者19,200人

捕虜1,000人

戦艦・空母を含む軍艦38隻損失し

航空機683機と優秀な搭乗員を失い

そのほかに多くの輸送船と物資が海中に没して

撤退できたのは約1万人ほどで

もともと脆弱な国力をこの地域ですりつぶし今後の作戦に大きな影響が出ました

モッキー
モッキー

最後にヘンダーソン飛行場

今のホニアラ国際空港を強行着陸して終了となります

みーくん
みーくん

後半はほとんどしゃべれなかった

モッキー
モッキー

まあ時間も押せ押せだから仕方ないよね

今回の解説でこれらを参考にさせていただきました。

またモッキは歴史研究者じゃないから解説が間違っている場面もあるかもしれませんのでその時はコメントなどで指摘してもらえると助かります

モッキー
モッキー

今回の終戦の日企画 ラバウルからガダルカナル島までの鎮魂飛行はいかがでしたでしょうか?
それでは次回もミリタリー中心の内容をお伝えしますので是非お付き合いいただけと嬉しいです。
また今回の操作方法はYouTubeで配信していますのでそちらを見てもらった方が全然分かりやすいと思いますので
YouTubeのモッキーのエースパイロットも是非よろしくお願いします

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